2014年12月11日木曜日
自分を肯定してくれる活字の世界
あなたは今のままで良いのですよ。
∧∧
(‥ )こういうのを
\‐ 無気力肯定ビジネスと呼んで
批判する人もいるみたい
ですね
(‥ )でもあれだよな
本の多くはそういうもの
なんだよね
本を読む事は知識を増やすことです。読書は知的行為です。
愚かしい言葉ではない。これが嘘っぱちであることは、知識=正しい、ではないことから明らかだ。
そしてまた、知的行為=正しい、でもない。
つまり、本を読むとは、逃げでしかないのだ。
読書人が信じている知識とは、実のところ間違っている安易な仮説であることが多い。というか読書人はわざわざそういう知識を厳選した上で読んでいるとも言える。
例えば言うであろう。
ダーウィニズムはおかしいと思ったから今西錦司の本を読んでみようと思います。
これは自分の希望的観測を肯定してくれる本をわざわざ選んで読んだ、ということに他ならない。
あるいはこうである。
隕石衝突で恐竜が滅びたというのは胡散臭いと思っていましたが、この本を読んでやはりそうだったのだと確信しました。白亜紀の終わり、生物はすでに大火山噴火と環境の悪化で衰退していた、この本にはそう書いてあります。
残念、そんな仮説は支持されていない。これもまた自分が感じた違和感を肯定してくれる本をわざわざ選んだ結果だと言える。
∧∧
( ‥)無気力かは知らないが
”肯定感を与えること”が
ビジネスになっている例だね
( ‥)自分の望みと現実は
‐□ 違うからな
普通の人は
それを知っていて
だからラノベとか
アニメとか
漫画やドラマで息抜きする
だがどういうわけか、そういうたわいもない娯楽をはなから馬鹿にするような、自分は文化程度が高いと信じている奴に限って、”肯定感”を異様に渇望して、正しくない知識に手を出す。
娯楽では癒されないほど現実に恐怖しているので、それゆえに、嘘、という麻薬に走った、そう言えば良いか。
時々言うではないか。知覚と幻覚は脳神経が見せている以上同じである。
果たしてそうであろうか?
例えば幻覚が見せている橋をあなたは渡るか?
渡っても良いが、その場合、現実世界からは退場を余儀なくされるであろう。それがこの世界のルールだ。
現実はかように暴力的である。この暴力とテストをかいくぐってきた知覚を、幻覚と同一視することはできない。
では、なぜ知覚と幻覚が同じだとうそぶくのか?
現実があまりに恐ろしいので、それに耐えられないだけではないのか?
あるいはこう言っても良い。
結局、あなたたちのやっていることは教科書を読みたくない言い訳でしょ?
認識的な手抜きに走ったよね?
面倒くさいからしょうがないけど、それは逃げだよね?
歳をとると色々なことが面倒くさくなる。だからしょうがないけど、だったら老いぼれは老いぼれらしくしているべきではないのか?
∧∧
(‥ )結局、野菜を食べたくないから
\‐ ポテチを食べるのも
文化的な行為ですよ
そう言い訳しているような
ものですか
(‥ )いやいやでも教科書に
手を出すわけでもない
さりとて一般人みたいに
たわいもない娯楽を
素直に楽しんで
現実に向き合う
わけでもない
文化人を気取る連中は
やってることが中途半端
なんだよな
いや、中途半端だからこそ、自分を肯定してくれる活字の世界、という、現実でもなく娯楽でもない、はざまの世界へ逃げたというべきか。
これはhilihiliのhilihili: 読書家とは嘘つきのデブの続き