2014年11月21日金曜日
これはSFではなくパクりというのは認識論で自然科学ではない
ねえねえ、これ知ってる?
こんな話を聞いた!
人間はネタを仕入れて、それを皆に吹聴するのが好きだ。
∧∧
( ‥)見つけた芋や捕らえた獲物を
持ち帰って
みせびらかすようなもの
ですかね
( ‥)数万年前のサバンナで
‐□ していたことの
延長なのだろうな
猫だって獲物を飼い主に
見せびらかすし
鳥の中には
きれいなものを集めて
それを陳列して求愛する
種類がいるわけだしね
それを考えれば、人間のしていることはそんなにおかしなことではない。変っているとしたら自慢や見せびらかしが物だけでなく、さえずりのような複雑な声、つまり言語でもそれを行うということだろうか。
∧∧
(‥ )無駄に巨大な脳
\‐ 複雑な言語
あなたがたはそれを使って
見せびらかしと自慢を行う
(‥ )というか
それを行うために
そういう能力を進化させた
そういうことだよね
もっと正確に言えば、言葉や言い回しで自慢と見せびらかしを行える者が子孫を増やせたので、結果的にそうなった、ということになろう。
それを考えると、「寄生獣」は「20億の針」のパクリだ、と言ったあの人は、それを言わずにはいられなかったのだ。
∧∧
( ‥)それが人間なのだ
(‥ )自分の知識を誇示して
見せびらかしを行う
これが人類の特性
ただ悲しいかな、話題というものは流行り廃りが非常に激しい。非常に激しいから、以前は尾羽を広げることが流行りだったけども、今ではトサカを広げることが流行りになる。そういう変化が急激に起こる。
つまるところ、彼がやった自慢はトサカを使って自慢大会が行われている場所で、なんだ、俺の方がすごいぞ! と尾羽を広げたようなものだったのだ。
要するにこの話である=>hilihiliのhilihili: 今はね、トサカが流行りなんすよ
以上のように、「寄生獣」は「20億の針」がオリジナル、彼がそう言った時代は1990年代。もし1980年にはすでにSFが飽和状態であった、というのなら、彼の行為は10年、あるいは20年近く遅かったのだとも言えよう。
以上を踏まえるのならば
∧∧
(‥ )時代遅れうんぬんはともかく
\‐ SFファンが
そのアニメは
このSFのパクリ!
そう言い立てるのは
性淘汰で進化したサルとしては
しごく当然なこと
(‥ )しかし性淘汰は不安定
これまでの自慢が
時代遅れになるのも当然
人が時代についていけなく
なるのもまた当然だ
....とはいえだな
とはいえ、多分、それだけでは話はすまないのだろう。例えばの話
エヴァンゲリオンは「幼年期の終わり」のパクリ
スターウォーズや銀河英雄伝説はSFじゃない
∧∧
(‥ )これ、確かに時々見ますよね
\‐
(‥ )これは分かるような
気がする一方で
よく考えれば
おかしんだよね
まず、アーサー・C・クラークが書いた「幼年期の終わり」。ある日、宇宙人が地球にやってくる。彼らの支配の下、地球からは戦争が無くなり、人類は黄金時代を迎えるが、それには目的があった。重力を操り、光速で宇宙を自在に駈ける技術を持つ宇宙人たち。地球人からは全能者のように見える宇宙人にも上位存在がいる。時間も空間も、光速の限界をも越えた存在である何者か。その神とも言えるものの指示で宇宙人は地球にやってきた。その目的は人類から生まれる次なるものを、その上位存在へと導くこと。
つまり宇宙人は助産婦である。神では力が強大すぎて、人間の進化に直接介入できない。ゆえに、御使いとして宇宙人は遣わされたのだ。宇宙人はじっと待っている。そしてある日、一人の少年から事は始まる。それはあっという間に子供たちに広がる。宇宙人は子供たちを親から、いまや旧人類となった人々から隔離する。子供たちは個体としての人格を失っていく、かつての個人がいわば細胞となる。しかし、それらが集合して成立する新たなる存在は、宇宙人をも圧倒するものだ。これが次なるもの。
旧人類が死に絶えた地球の空に、ついに上位存在、神たるものがやってくる。そしてかつて人類から生まれた新たなる者は、地球を破壊吸収し、神のもとへと旅立っていくが、それを見届けた御使いたる宇宙人は、果たして何を学んだのであろうか?
∧∧
( ‥)エヴァンゲリオンの
人類補完計画も確かに
個体の喪失と次なる進化
ではありましたけどね
こじつけ気味に言えば
秘密の計画や
人類進化の促進も
共通と言えば共通ですかねえ
( ‥)つまりエヴァンゲリオンと
‐□ 「幼年期の終わり」の
共通点はそのくらいだな
一方、スターウォーズはSFではないと言う。確かにまあ、あれは善と悪の戦いを描いたもので、むしろファンタジーかもしれない。
銀河英雄伝説もSFではないと言う。まあ確かに、どの居住惑星にいっても季節も気候も環境も重力もどういうわけか同じだ。これは”銀河英雄伝説は所詮は宇宙三国志であって、SFではないのだ”、と言い張る根拠にはなろう(もっとも、あの不思議設定は便宜的にそうしていたはずだが)。
問題はだ
これを持ってエヴァンゲリオンは「幼年期の終わり」のパクリであるとみなす
これを持って銀河英雄伝説とスターウォーズはSFではないとみなす
この根拠とその正当性はなんだろうか?
∧∧
( ‥)これってあれでしょ
その分類の根拠を
客観的に明示できるか?
そういう問題だよね
(‥ )こう尋ねると
根拠は明示したではないか
そういう答えが
返ってくるものだけどね
根拠の”正当性”は
明示されていないのだよね
例えば、
タコと人間の眼球はどちらもレンズ眼である。これを根拠にタコは軟体動物ではなく、人間の仲間に含めて良い
確かに、根拠自体は明言されている
あるいは反対にこうである
タコの眼球と人間の眼球は網膜の配置が異なる。これを根拠にタコと人間のレンズ眼は別物だと考えて良い
確かに、根拠自体は明言されている
だがしかし、
∧∧
(‥ )どっちもペケでしょうねえ
\‐
(‥ )ひとつの根拠で
同じにまとめる
そこまで強力な意味合いを
その証拠に与えるのは
なぜか?
ひとつの根拠で
別々のものだと示す
そこまで強力な意味合いを
その証拠に与えるのは
なぜか?
どちらもこの問いに
答えておらぬ
根拠を出せば良いというものではない。根拠の正当性が問題なのだ。
例えばの話、タコと人間はレンズ眼だから起源が同じだ、というのは、レンズ眼が一回しか進化しなかった、ということを前提にしている。
なぜそんなことが言えるのか?
反対に、網膜の配置が異なるから別物だ、ということは、網膜の配置は絶対的に変化しない、ということを前提にしている。
なんでそんなことが言えるのか?
ここが問われる。
これに答えられるか?
答える事が出来ないのなら、それは永久に主観論でとどまるだろう。
この議論はかつて70年代以後、生物学と系統学の世界で起きたことであった。つまり、まさに科学の問題である。
∧∧
(‥ )分類学はこの問いに答えられず
\‐ 系統学はこの問いに対して
すべての証拠を取りあえず
等価であると仮定し
全体の整合性を見ることで
答えた
(‥ )整合性という基準を
導入したわけだな
整合性以外にも
確率とか
変化を最小化するとか
そういう基準もあるが
まあ全部似たようなもんだ
分類学はこの問いに答えることはできなかった。答えようとした分類学はあったが、結局それは系統学になってしまった。分類学は分類学のままだった。そして系統学は以上の問いに答えた。
これは科学の世界で実際に起きた問いであり、そして解答であった。
では? エヴァンゲリオンが「幼年期の終わり」のパクリであり、銀河英雄伝説とスターウォーズがSFではない、という分類は、以上の問いに答えているか? 答えられるか?
∧∧
( ‥)答えておらんと
( ‥)答えていないね
‐□
端的に言ってしまうと、これがSFだ、これはSFじゃない、これはこのSFのぱくりだ、というのは自然科学でもなんでもない、主観的な認識論でしかない、ということである。事実、そこには解析というものがまったく無いのだ。
∧∧
(‥ )SFファンはこんなの
\‐ 科学的じゃない!
と言うのですけどね
(‥ )ところがそれ自体が
科学的じゃないんだよな
解析が無いまま、これはパクリだ、これはSFじゃない、そうやって分類の話をする。それは科学じゃなく認識論の話をしているだけだ。それにもかかわらず、それが科学的であると言い立てるのは、いかにも悪い冗談である。
*ちなみにタコと人間のレンズ眼は、整合性と最節約に基づく祖先復元から考えると別々に進化したものであり、起源は異なる。