2014年9月23日火曜日
社会を呪う自由はあっても、檻から出る自由は行使できまい
∧∧
( ‥)要するにですよ
(‥ )愚痴は良いけど
でっ?
お前の次の一手は何?
そこが問われるわけだ
世界が悪い、日本が悪い、社会が悪い、会社が悪い、学校が悪い、親が悪い、愚民が悪い
なにを言っても良いが、では、お前の次の一手はなんだ? ここが絶えず問われる。
∧∧
(‥ )言い換えると
\‐ 批判と愚痴だけの人は
もう勝負から下りたのだと
(‥ )勝負から下りたからこそ
世界を呪うしかない
そういうことでもあるな
もちろん、呪う自由はあるのだ。自由とはそういうものである。呪うことを糾弾することからの自由。
我々には自由がある。法律から自由。道徳から自由。殺人の抑圧からの自由。
呪う自由があるのは当然。
∧∧
( ‥)でも勝負から下りた
その現実だけは変えられない
( ‥)自由とは概念であって
‐□ 現実そのものでは
ないからな
そして勝負から下りて
なおかつ呪う自由を
行使出来るだけの
余裕がある
つまり彼は
飼い殺しにされて
いるわけだ。
自分から檻に入ったのだ。檻の住み心地は快適だから、檻の中から世界と社会を呪い、糾弾する自由を行使できる。だがしかし、檻から出る自由は行使できまい? そんなことをしたら最後、世界と社会を呪う自由は失われてしまうのだからな。
∧∧
(‥ )まー、などと偉そうな
\‐ ことを言っても
あなたも打てる一手は
ほとんどないよね
(‥ )ものすごく楽観的に
考えてみよう
本を書くのに3ヶ月かかる
1年間に4冊書ける
自分は75歳まで
現役でいられるとする
すると120冊書ける
あるいは余裕を持って1年間に3冊の本を書けると仮定する。すると90冊書ける計算だ。
∧∧
( ‥)逆に言うと
あなたは後、
100手ぐらいしか
打てないってわけだ
( ‥)それも極端に楽観的な
‐□ 場合の話でな
実際には...
実際には、ゲームに詰みがあるように、例えばこれから先の10手で勝負は詰んでしまい、そこで終わる、という可能性もある。というか、先日、一手詰んだと思う。仮に頭の中に10手あっても、詰み方によってはもっと早く終わるということも当然ありうる。
∧∧
( ‥)今、打っている手が
3年以内に全部詰む可能性も
あるのだと
(‥ )最短だと1年だね
物書きも
イラストレーターも
はかないものよ
どれだけ有効な手を、どれだけ数多く打てるか、それが勝負の分かれ目になるのだろう。しかしそのためにはである
∧∧
(‥ )必要なのは体力だよねー
\‐
(‥ )なんかさ、走ったり
歩いたりするだけじゃ
駄目みたいなんだよな
下半身だけでなく
上半身も動かさないと
体全体がうまく動かない
感じなんだよね
上半身も動かすと
腹の減りが違うように
思えるのよ