2014年8月14日木曜日
大人の戦い
物作りを続けていると、どうしても玄人向けなものを作ってしまう。
∧∧
(‥ )というか以前のものより
\‐ 作品を改良する以上
どうしても玄人向けに
なってしまうと
(‥ )まあ、玄人向け
という表現もあれだ
むしろ
物を作り続けていると
次に作り上げるものは
以前よりも複雑になる
あるいは
以前よりも派生的に
なってしまう
そう言うべきかなあ
でもそうなると
売れなくなるんだよね
物語なら、展開を広げてひねりを効かせ続けているうちに、ついに物語がねじ切れる、みたいな
∧∧
( ‥)物語じゃないけど
あなたも本作りでは
困ってしまうと
( ‥)一番単純なのが
‐□ 一番初心者向けで
それが客層として
一番大きいから
それが一番売れるのだ
しかし、受けるがゆえに売れるものを作る。これではいつまでたっても同じものを作らなければいけない。そしてこれが辛い。というか、くだらないのだ。
∧∧
(‥ )そりゃあ作る側からすれば
\‐ 飽きるからね
(‥ )それに科学の本で
そういうことをするとね
いつまでたっても
次の肝心なことへ
話が進まないのだよ
見てくれのよい
上っ面を反復するだけで
理解の基礎や
理解の拡張へは
向かえないままなのだ
例えばの話
二酸化炭素と炭酸、堆積物の膠結作用の話が退屈で難しい?? だけどお前、これを把握しないとオルドビス紀末期の大量絶滅は理解できないよ? そもそもビッグファイブの詳細を知りたいって言い出したのはお前だろ? 知りたいのに理解したくないって、どういうことよ? えっ? そんな話は聞きたくないから結論を聞かせろ? だからこの結論を把握するためにはだな
∧∧
( ‥)まあ、そういうことに
なりますよと
( ‥)実際退屈だからな
‐□ 文句が出ること自体は
当然だろうね
人間は必要なことでも
そこから目を逸らす
これもまた
当たり前ではある
...正しいことでは
ないけどな
人間は神経が命じる好きなことしかできない。カッパエビセンとポテトチップを口にすればそれがよく分かる。
人間は物事を直視する能力がない。直視する体力がないのだ。目の前の困難から目を逸らすどころじゃない、見えているはずなのに見ていないことすらある。脳が認識を拒否しているのだ。
∧∧
(‥ )どうしたものですかね?
\‐
(‥ )そういう
みんなが目をそらす
退屈な基礎や
応用を解説した本でも
売る事自体は可能なのだ
図書館向けの本にすれば良い。図書館向けの本とは、読者のことをあまり考えてない本でもある。それは、”図書館になんで漫画が置いていないのー?”、とか、”図書館にもラノベを置いてよ”、という声を聞けば分かる事。
実際には図書館にだって漫画もあればラノベもある。しかし、図書館の本というものが概して”読みたい本”ではなく、”読ませたい本”であるという事実は変らない。読者を無視しているわけではないが、読者を向き切ってもいない、それが図書館であるし、それが図書館の役割のひとつなのだ。
∧∧
( ‥)でも図書館向けの本だけを
書いているわけにも
いきませんよと
( ‥)図書館向けの本は
‐□ 手堅いし
安定的な需要を
見込めるのだけどね
それだけだと
仕事が限られてしまう
図書館向けだけに
特化するのは難しいかなあ
∧∧
(‥ )非常にマニアックで
\‐ 玄人受けする本が売れるって
こともあるんですけど
(‥ )問題はねえ
マニアック=正しい
ではないってことだね
マニアックな語り口で分かりやすいと評判のサイエンスライターがかつていたが、実は中身が全部間違い、ということがあった。
さる院生の人は、彼の文章を引用して曰く、”この文章の中から正しい箇所を述べよ”と。
この評価は手厳しいが、まったく正しい。確かにその文章の内部に正しい箇所なんて何一つとして無かったのだから。
∧∧
( ‥)知っている人からみれば
正しい部分がないこの文章
ところがどっこい
一般の科学好き読者には
これが分かりやすく思えた
( ‥)分かりやすい
‐□ とか
分かりやすいから売れる
とか
これら自体が
本に取ってはリスクである
そういうことなのだな
つまり、今、必要とされていることは、
正しい内容であること
なおかつ退屈な基礎であること
あるいは難解で派生的な理解について述べていること
これらの文章を一般向けに売れ
それは図書館向けでも構わない
だが、可能な限り図書館以外でもこれを実行せよ
ということになる。
∧∧
( ‥)めちゃくちゃだよね
どうするんです?
(‥ )さてねえ
どうしたものかねえ
例えば、内容をものすごく薄くする、という手がありうるが、やったことがないので効果は不明だ。
言い換えれば、やったことがないのならそれをやれよ、ということでもある。
∧∧
(‥ )内容をものすごく薄くね...
\‐
(‥ )人間の把握能力は
ぎょっとするぐらい低いのだ
自分を読書家と
うぬぼれている連中も
レベルは小学生よ
水に近いスープにしないと
飲めないし消化もできん
そして、飲めないものを注文する客はいないのだ。確かに内容自体は理解に必要不可欠でなければならぬ。読者がいやがろうがなんだろうが、内容とはそういうものだ。しかしそれは可能な限り薄める必要があろう。確かに確かに、カルピスを原液で出す店は無い。カルピスというものは、水と氷で可能な限り薄めるものだ。
∧∧
( ‥)でも薄すぎると
読者は
俺たちを馬鹿にするなと
怒りだすんじゃね?
( ‥)というかだな
‐□ 露骨に子供扱いされると
プライドが傷ついて
大人は泣き出すのだ
大人ってそういうものさ
ラノベを毛嫌いする連中を見れば、これがよく分かるというものだ。彼らは自分の社会的ステータスを守りたいだけだし、守らなければならない。
否! 社会的ステータスとは死守しなければいけないものなのだ。
それこそが大人というものだ。大人はこれを恥じる必要はない。やせ我慢こそが大人の根源であり、これこそが大人の戦いなのだから。
∧∧
(‥ )中身は子供でもね
\‐
(‥ )無理矢理背伸びすることを
強制されて
今にも泣きそうなのが
大人というものだよ
自分たちを見れば分かるさ
さもなければ
風俗へいってまで愚痴など
こぼすものかよ
本という存在は、大人のこのような有様にねじ込みをするものでなければならぬ。
∧∧
( ‥)そのひとつの解が
可能な限り薄く
ですか
( ‥)やってみないと
‐□ 分からんがね
それを考えると、「失楽園」とか「愛の流刑地」とか、あれは本当に偉大な一歩だったのだろう。なんといっても内容はハーレムラノベなのに、大人の自尊心を満たしてくれる体裁を整えて見事に成功したのだから。読む側が、私はラノベを読んでいるのではありません、文学を読んでいるのです、そう言い訳できるようにしたのだから。今にも泣きそうで崩れ落ちそうな大人たちの社会的ステータスを下げることもないままに、大いなる至福を彼らに与えたのだから。それを考えれば、あれらとその作者は歴史に残る価値がある。
∧∧
(‥ )あなたはハーレムラノベを
\‐ 書くのが仕事ではないけどね
(‥ )方向性もまるで違うな
だが置かれた状況は
似たようなものだ
少なくとも共通点は
あるわけでね
自分の平均余命は残り36年。活動限界はもっと早いはずだ。せいぜい30年ではないか? もう時間があまりない。打てる手の数は限られている。それゆえ、可能な限りのことをしないといけないだろう。
そして、やったことがないから分からないというのなら、それをやれ。それだけの話。手を打つとはそういうものだ。