2014年6月9日月曜日
すべての病人が絵描きであるわけではない
∧∧
( ‥)つまり?
( ‥)描き込みが足りない
‐□ つまり情報の密度が
まるで足りないんだ
女の子のところは...
俺はちゃんと見て
いないからなあ
∧∧
( ‥)間に合います?
( ‥)幸いにも〆切は
‐□ そこまで厳しくはない
後は時間内にどれだけ
試し描きが出来るかだな
∧∧
(‥ )体力勝負だね
\‐
(‥ )300枚も描けば
形は見えてくるものよ
それが出来るか
出来ないか
それだけの話よな
絵が下手な人間とは、単に描いている数が絶望的に少ないのだと言える。実際、これまで描いた絵が累計でも100枚いかないなんて笑える冗談ではないか。絵は体力と試行錯誤でしかない。そういうことでもある。
ただし、自己満足馬鹿でない場合に限る
∧∧
( ‥)自己満足馬鹿ね
( ‥)これで良い
‐□ 俺すごい
そういう心理は判断基準や
良し悪しの物差しが
壊れた状態なんでね
判断基準や物差しが壊れているのだ。この場合、試行錯誤がまったく意味をなさなくなる。
考えてみれば絵を描く人間、文章を描く人間は病人だらけであるが、大胆に言うと二つの病に分けることができるのだろう。果てしなく試行錯誤を行う人間と、物差しが壊れてしまっているので、言う事はでかいが見当はずれなことばかりしており、しかも手が動かない人間と。これ、意外に多い。
∧∧
(‥ )イラストレーターも
\‐ ライターも病人だ
まともではない
(‥ )さりとて病人の
すべてが
イラストレーターで
あるわけでもない
まあ、当たり前だよね
考えてみれば、物差しが壊れてしまっている人間は、すぐに自己満足して手が止まることになるだろう。自己満足は自画自賛であり、それゆえ、他人には受け入れられないものだ。それがその人間のものでしかない以上、流通するわけがない。しかし当人だけはすばらしいと確信しているのである。
それを考慮すれば、物差しが壊れた人間が口先だけのほら吹きで、しかし手を動かさない、というのは必然なのかもしれぬ。