2014年4月1日火曜日
あのマッチポンプぶりはただ事ではない
∧∧
( ‥)あなたとしては
文学部があっても良いけど
国語は必要ないだろう、と
(‥ )というか国語は
あるべきだけど
文学を引用して問題にして
どうするの?
って感じかな
いや、文学を引用するのも当然なんだろう。文学はよくも悪くも教養であり、教養はエリート階級の常識であって、自らの知識と学歴を披露する、いわば証明書であり、パスポートであり、そしてクジャクの尾羽である。
それは単なる慣習でしかないし、悪い言い方をすれば貴族やオタクのうんちくでしかないのだが、まあ、人間ってのはそういうものだ。そういうものが非常に重要になる。
例えばビザンチン帝国の官僚たちは、自分たちよりもはるか前、紀元前の文学、ホメロスが必須であったとか。
∧∧
(‥ )だから引用は良い、と
\‐
(‥ )問題はさ、
近代文学とかいう
新参者たちだな
150年程度の歴史しかないくせに、いつのまにか我らこそ教養であり書物の中心であるかのような、でかいつらをしておる。
これは明らかに間違いだ。本も文字も、商業上の記録そして、宗教、冒険譚、神話、数学、科学からスタートした。
近代文学とは頭でっかちな独りよがりで、その姿はまさに泡のごとくはかない成り上がり者。
∧∧
( ‥)あなたは本当に文学を
嫌っているんだね
( ‥)だが好き嫌いなら
‐□ 好き嫌いの問題でしか
ないのだよ
好き嫌いならそれだけの話なんだが、国語の授業で作者の気持ちを考えよ、とかくだらない問題に時間を割く、となると、それは好き嫌いではすまない。
∧∧
( ‥)本当に読むべきは
(‥ )実はさ、お役所言葉を
把握することが
重要だと思うのだけどね
お役所の文章は馬鹿にされ嫌われているが、実はこれこそが重要だ。
なぜ馬鹿にされるか?
それは頭のいかれたクレーマーがいるために、責任の有無を明確にするためである。
しかし、それゆえに読むのが難しくなり、読解にそれほどの手間をかけたくない人間が落伍する。落伍するがゆえに人々は怒り、そして馬鹿にするが、実際には、その文章はそうでなければならないのだ。
∧∧
( ‥)だとしたら人々に教えるべきは
お役所の文章の読み方や
その作成方法
さらには用語の使い方
言葉の使用方法、
慣例などではないか?
(‥ )ところがだ
作者の気持ちを考えなさい
だと、それは単なる
文学のマッチポンプに
なっちゃうんだよな
文学を教材にして文学部を出たものが文学を書き、そして出題する。
これでは壮大な自己循環で、自己の存在意義を自ら捏造しているのと同じ。
まさに成り上がり者にふさわしい所行。
∧∧
(‥ )それが、あなたが文学を
\‐ ひどく嫌う理由ですか
(‥ )こんなことをやってるのは
詐欺師だけだろ
そして、好き嫌い以前にお役所の文章を本来は教材にするべき理由がある(いやがる役所も多そうだが)。実際、お役所、お役人と揶揄している場合ではない。民間でも契約書はこういう書体であるからには、なおさらだ。
これこそが必須になるべき。自分の悩みをつらつら語って文学とかいう大層な肩書きで粉飾しているような道楽を読んで聞かせて学んでいる場合ではない。
それに意地悪な言い方をすると、お役所、お役人と言っている連中はそういう文章を作る側に回れなかった落伍者なのだとも言える。そうである以上、彼らの言葉は真面目に聞くべき意見ではないはずだ。
∧∧
( ‥)言い換えれば、学習とは
官僚とその仕事に適した
文章を作成できる人間を
抽出する過程ですか
(‥ )そうなれなかった連中が
メディアだの文学だの
知識人だのになって
いるのだとしたら....
色々なことが
説明できるよね
∧∧
(‥ )別にメディアや知識人や
\‐ 文化人や物書きの皆さんが
官僚を目の敵にするのは
それだけが理由じゃ
ないでしょうけどね
(‥ )そうはいってもだな
中途半端な才能を持って
挫折した人間が抱える
ねたみと恨みは
僕らなんかには
分からんものでな
あのマッチポンプぶりはただ事ではない。
それがいやなら、堂々と一人で立てば良いのだ。
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