2013年12月12日木曜日
コメントが痛い領域に偏る、必然的な可能性
書評、論評、寸評、評論、意見、コメント
∧∧
(‥ )書籍で、ネットで、掲示板で
\‐ amazonで、tumblrで
(‥ )ああいうコメントには
時々痛いのがあるけど
例えば応用が効かないコメント
∧∧
(‥ )私には合わない化粧品でした
\‐
(‥ )これでは意味のない
情報だよな、
最低限、応用が効かない
私には合いませんでした
そうではなく、こうしたらどうなるか?
私は良くは思いませんでした。他の方が評価している、この、肌に優しい化粧品でも、このような反応が出たからです。でも、私の場合、石けん、水仕事でもこのようなことになりますから、以上の反応は私の肌が平均より弱いせいかもしれません。ただ、私と同様に弱い方は...
∧∧
( ‥)私は人間という集合の中で
このような位置にいます
私のような立ち位置の方では
やはり過敏に感じるかも
しれません、以下ウンヌン。
いわば自分の座標を
お知らせすれば、
近い座標、遠い座標の方々
それぞれ個別に対応可能
応用と潰しが効いて便利
( ‥)これがさ、単に
‐□ ”私には合いませんでした”
だとなんの意味も
なくなるのだよね
自分自身の説明もしないで、私にはこうでした、それしか説明しない。これは私が感じた事は私以外にも無条件にあてはまると考えていることになる。そうでないと、こんな説明はしないだろう。
つまり、自分の座標に無頓着なのだ。
∧∧
(‥ )他人の意見を尊重しない、
\‐ とも言えますけどもね
あるいは自分の立ち位置同様
他人の立ち位置にも
無頓着なのかも
(‥ )無頓着なせいか
無頓着に
私はこう思います
としか説明しない。
そうだとすると、
論評やコメントが
痛い内容に偏りがちなのは
そのせいかな
自分た他人の立ち位置に無頓着な人間なれば、無頓着で説明抜きの意見を積極的、自発的に述べるだろう。だとしたら、コメントがどこか、ちんちくりん色に偏るのは当然だとも言える。