2013年11月4日月曜日
零落した原因が正義という可能性 あるいは負の必然的なスパイラル
例えば曰く、権力も知力も経済力も無い人が、最後に頼るのが正義であると。
∧∧
( ‥)だが、もしかしたら
逆かもしれない
( ‥)正義、道徳、倫理
‐□ これらはすべて
ルールだ
こういうルールは、科学の法則とは違う。科学の法則は宇宙が押しつけた法律ではない。宇宙は現実を押しつけたが、法律を押しつけたわけではない。
∧∧
( ‥)科学の法則とは、
宇宙の有様を説明する仮説
( ‥)だけど、正義、倫理、
‐□ 道徳は違うんだ。
人が集団を作ると、ある段階でありうる人間関係が膨大な数になっていき、そして、
∧∧
( ‥)必然的にトラブルが増え
殺人が起こる
殺人は報復を呼び、
報復のための殺人
殺人のための報復が起こる
(‥ )というわけで、
人を殺しちゃいけないよ
そういうルールを作る
このルールは殺人を禁止してはいるが、実は否定しているわけではない、とも言える。
人間は殺人を犯す動物である この事実を大前提に設定されたルールは、殺人を禁止していても、殺人という現象を踏まえたものだ。その意味において、殺人を否定しているわけではない。むしろ、殺人がある、ということを踏まえて作られている。
∧∧
(‥ )そしてルールは理論ではない
\‐
(‥ )殺人を犯してはならない
それは科学の法則でもないし
社会の現実でもない
社会の動態を記述する
理論でもない。
殺人を犯してはならない、という禁止事項は、社会も、殺人も、犯罪も、まったくなにも説明していない。それ自身ではただの無力なスローガンでしかない。
∧∧
( ‥)動態を説明できない言葉を
いくら信奉しても
動態は操作できない
(‥ )エンジンの仕組みを
知らぬまま、
技術者の心構えを
覚えても、
エンジンは扱えない。
正義は現実を説明しているわけではない。ただの禁止事項でしかない。だのに、正義を信じる。
エンジニアの心構えを知っていても技術者になれるわけではない。それと同様に、正義という空っぽのスローガンを信じているだけでは、現実を操作することは出来ない。
しかし、正義を、社会正義を、と叫ぶ人がいる。これは実のところ深刻なことで
∧∧
( ‥)実社会を操作できない、
実社会の技術者になれない、
ありていに言ってしまえば
社会をうまく渡っていく
ことができなくなる
(‥ )つまりだよ?
権力、知力、経済力、
それを持たない人が
最後に頼ったのが正義、
なのではなくてだな。
正義なんて信じるから、世の中をうまく渡ることもできずに、みすぼらしい有様にまで落ちぶれたんじゃねーの?
力を持てず、賢くなることもできず、社会的な成功も納められない。それは、正義を信じて現実を見なかったせいじゃないのか?
∧∧
(‥ )おそらくは互いに
\‐ 影響しているはず
なのですけどね
(‥ )零落したから正義にすがる
正義を信じたから零落する
どっちも正しいのかも
しれないな。
だが、そうだとすると、状況はもっと深刻だ。これは、正義の周辺では、社会の底辺へと下降する、いわゆる負のスパイラルが起きうることを示している。