2013年10月12日土曜日
馬鹿の二文字は時間線の可能性をせばめる
∧∧
( ‥)以前にもネタにした
ことだけども
( ‥)文字制限があっても
‐□ 文章には
無数の組み合わせが
ありうる。
組み合わせを組み立てていくたびに色々な選択肢が現れる。そのつど、その分岐点で選択肢を検討し、そして進行する。あるいは考え直して分岐点にまで戻り別の選択肢を試す。どうにもならないと感じたらさらに戻る。
∧∧
( ‥)SF的に言うなれば
望む時間線を得るために
何度もループを
繰り返す
( ‥)そういう時、つまり
‐□ 文字制限がある状況で
最も効果的な
選択肢を検討している時
例えば、馬鹿、という
言葉を使うと、
選択肢ががくん、と
減るんだよね。
馬鹿、この二文字を入れただけで色々な制限が無数に発生して、色々な時間線を放棄せざるをえない状況へ追い込まれる。考えてみれば馬鹿は名詞か、あるいは形容詞なり、あるいは副詞なりなので、使ったら最後、動詞やさらに主語だの助詞だのを使う可能性が出てくる。つまり実際には二文字ではすまない。選択肢が広範囲に渡って破壊される。
さらに、馬鹿、には多分、こまった属性がある。別にこの言葉に限ったわけではないけども、困ったものは困ったものだ。
∧∧
( ‥)馬鹿の何がいけないのか?
(‥ )これ、結論を述べた言葉で
説明ではないのよ。
でも肝心なのは説明だよな
馬鹿、という言葉は、それ単独では無力だ。説明がない結論はそれこそ馬鹿っぽい。
∧∧
(‥ )文字制限がある中で
\‐ あえて馬鹿の二文字を使い
時間線の選択肢を無数に
放棄した上で、
なおかつ、
馬鹿という結論に至った
その過程を説明しなくては
ならない。
(‥ )そう考えると、一気に
混乱的になったことが
分かるよね。
たいがいは、短い文脈で
馬鹿という言葉を使うと
”これが馬鹿であることは
自明であるので説明を
省略する”
というやり方になって
しまいがちなのだが。
問題は、それ、本当に自明なの? お前の中でだけ自明なだけじゃね? ということがありうる。
いやそりゃあ当たり前なのだ、ある前提から導いた自明の結論、その正しさは結局のところ大前提に依存している。そして当然のことながら、馬鹿という結論は大前提の正しさをまったく説明しないし、保証もしない。
∧∧
( ‥)つまりそれでは妥当性が
全く分からない
意味不明。
( ‥)まあ、あれよね、
‐□ テストの答案に
自明であるから省略する
と書いたら、
普通にぺけだよねえ。
∧∧
( ‥)短い文章の中で馬鹿を
使うのはよくない?
(‥ )よくない、うんぬん
ではなくてだな。
その二文字の使用を
放棄して選択肢を確保し、
ありうる時間線から
可能な限り切り詰められた
説明を確保すべき。
これがベターではないか?
チョイスされた説明を見て、読者が、ああ、要約すれば馬鹿ってことですね、と理解できるようになっていれば、それは説明の役割を最小限度果たしており、なおかつ馬鹿という二文字を使わずに馬鹿を説明できている。
∧∧
(‥ )いやみったらしいと
\‐ 言われる可能性もあります
けどもね
(‥ )説明もなく馬鹿と言って
馬鹿っぽくみられるのと
どっち選ぶべきかな
それは個人個人や状況によりけりなんだろう。ただ、少なくとも、馬鹿の二文字を使った時に、文章作成の過程で何が起こるのか? そのことぐらいは気に留めても良いだろう。