2013年9月21日土曜日
ゾンビの強さは着ているそのスーツにはあらず
散歩にいこうとするも小腹が減ったのでコンビニによって少し食べ物を買った。
∧∧ 無駄遣いだ
( ‥)
‐( ‥)そうねえ、コンビニの
‐□ 品物は高いからな
ほんの一時の会社員時代。無駄に残業するので帰宅した時にはスーパーなんて開いておらず、コンビニでどうしてもジャンクな食料品を買わざるをえなかったことを思い出す。高くて、金だけがじゃぶじゃぶ出て行く不毛な感じ。
ふと見たらレジにジャンプが置いてあった。
∧∧ ああ、週明けが休日だと
(‥ )
‐( ‥)こういう手がかりから
‐□ 曜日や休日を知る昨今
ですよ
公園についた時はまだ真っ暗だったが、早起きな老人たちはうろうろ散歩していて機械的に挨拶してくる。やはり、もっと夜の間にこそこそといくべきだった。いつも一人だが、しかし、夜空の下で過ごす一人の時間は何ものにも代え難い。
さて
以前の書き込み、hilihiliのhilihili: 無自覚な飛躍の足下になにがいるかよく見てみようの続き
例えば、
演繹と帰納で論理的にプレゼンをしよう。これはアメリカの経営者もやっているやり方なのですよ。
という煽り文句を見たりする。
∧∧
( ‥)演繹と帰納法で論理ねえ....
( ‥)論理を理屈という程度の
‐□ すごく広い意味で
使っているんだろうな。
ナポレオン・ボナパルトが実在したことを演繹法、あるいは帰納法で論証せよ。
∧∧
( ‥)実際にはそんなこと無理で
演繹法でも帰納法でもない
方法を用いないと、
ナポレオンの実在は
主張できない
( ‥)ということは、
‐□ 演繹法と帰納法で
論理的に経営とプレゼンを
行おうって主張は
実は底抜けのくるくるぱー
だってことになる
あるいは実用的だが怪しさ大爆発な手法に、ほとんどまったく役立たないが見た目はびしっと決まっている、論理というスーツをまとわせましょう。そういう主張だとも言える。馬鹿げているが重要だとも言えるし、重要ではあるが所詮は馬鹿げているとも言える。
∧∧
(‥ )世の中の理屈や根拠の
\‐ ほとんどは、
正しい、正しくない、
役立つ、役立たないと
関係なく、それらすべて
へ理屈であると
(‥ )そういう意味では、
へ理屈も理屈のうちだ、
という言い方は
正しいとも言えるよね
ただし、すべてのへ理屈が現実から等距離にあるわけではない。これもまた事実。
∧∧
( ‥)良いへ理屈と悪いへ理屈が
ございますと
( ‥)まあ、その識別に
‐□ 帰納法や演繹法が
重要な役割を果たすのは
事実であるね。
さりとて、
帰納法と演繹法だけでは
この局面においても
やはり無力なんだが
例えばの話、大量の喫煙は肺がんの原因になる。という理屈なり主張は妥当なものだと思われるが、帰納法や演繹法だけではその妥当性を論証することはできないでしょ? という意味。
*大量の喫煙をすると肺がんになる。Aさんは大量の喫煙をしている。ゆえにAさんは肺がんになる。演繹法的にそう言って良いか?
**喫煙者Aさんは肺がんになった。喫煙者Bさんも肺がんになった。喫煙者は肺がんになる、そう、帰納法的に言って良いか?
さて、それを考えると
∧∧
(‥ )アメリカの経営者は
\‐ 演繹法と帰納法で論理的な
経営とプレゼンを...
まるで演繹法と帰納法が
魔法の解決策のような
扱いですね
(‥ )論理的とは、
とてもじゃないが
言えない主張だな
思うに、アメリカの経営者が論理と演繹と帰納法でうんぬん、というのは得意先の部長さんに芸者ガールを呼んで接待を、と言っているのとなんら変わるまい。
∧∧
( ‥)少なくとも、単なる
社会的な慣例でしか
ないのだろうと
(‥ )見た目はえらい違い
なんだけどな、
現実的にはそんなもの
なんの意味もないじゃん
という視点においては
このふたつは
区別できないと
言えるよね。
ナポレオン・ボナパルトの実在や禁煙の害も論証できない方法論を、芸者を呼んだ接待より高度で知的だ、などと差別化する必要はあるまい。というか、してはいかんだろ。
∧∧
(‥ )それを考えると、
\‐ アメリカ企業の強みって
論理や合理性ではないって
ことになりますね
(‥ )産業革命の先陣を切った
大英帝国の片割れで
人口と資源が多く、
自由で混沌。
それだけで十分、
説明できるのではないか?
∧∧
( ‥)つまりアメリカの強みとは
(‥ )ゾンビ的なもんだろ?
無限とは言わないが、
絶対優位な体力を誇り
無目的に蠢く。
それを考えると、論理だ、帰納法だ演繹法だの、それはゾンビが自分を見栄え良く着飾るために身につけたスーツでしかないと言える。
ひょっとしたら、いや、おそらくそうだと思うのだけども、アメリカ人自身も勘違いしているかもしれないが、論理だ、演繹だ、帰納だ、どうでもいいことなのだ。重要なのはそんな馬鹿げたところではないだろう。