2013年5月11日土曜日
本は基礎を与えるが、受け継ぐは妥当解
hilihiliのhilihili: 絵本を思い出すの続き
かこさとしさんの「地球」福音館1975年を読み返して気がついたことがある。
∧∧
(‥ )記述からすると海洋プレートの
□− 運動はマントルの対流で
駆動されている、
そういう説明ですね。
(‥ )興味深い。時代を反映して
いるんだろうな。現在は、
駆動力は海洋プレート自身の
重さや位置エネルギーだろう
ということになっている
からね。
※例えば、断層で分断され、平行にずれている海嶺がなぜ動けるのか、古い海底ほど速く動いているように見えるのはなぜか? マントル対流で駆動されている、と考えると説明がつきにくい現象が色々とある。
ある時点で説明が変わった。これは理解の歴史そのものだ。
∧∧
( ‥)あなたの子供時代は
火山噴火のマグマは
プレート同士の摩擦熱で
マントルの岩石が
溶けたもの、
そういう説明でしたっけ
(‥ )そう聞いていたよなあ
実際は水によって
マグマが出来るのだ。
それを考えると、
時代も理解も変わったよ
∧∧
(‥ )これがアップデートする
□− ということなのでしょうね
(‥ )本はその時代の知識を
基礎として与える。
基礎になった知識を
土台や踏み台にして
より妥当な解と理解を
手にして、それを次に
伝える。
世代を超えて知識は
伝えられるが、
知識自体は書き換えられ、
より妥当な解が伝えられる
∧∧
( ‥)そしてしかし、古い知識もまた
この過程で役立ったのだと
(‥ )人はついつい必要なのは
新しい知識である
そう考えるが、
実際には違う
与えるべきは基礎、
しかし受け継ぐは妥当解
この両方が無ければ
理解は前には進まない
そういうことなのだろう