2012年7月26日木曜日
1967年6月30日〜7月15日
*の続き
以前、読んだ本が見つからないので、amazonから買い直して確認。タイトルは「殺人全書」岩川隆 徳間文庫。
( ‥)ああ、記憶の思い違いが
–□ あったな
∧∧
(‥ )性格テストの部分ですね
\– 上がって下がって、また上がる
あと、加害者が被害者を
妊娠させていた
というのは間違い。
それぞれ赤を入れておきます
事件は昭和42年、つまり1967年の6月29日の夜に起きたという。通報は明けて30日早朝、ヤクルトの配達員による。
というわけで図書館にいって新聞(図書館にあったのは朝日新聞の縮刷版)を調べてみる。
∧∧
( ‥)どう?
( ‥)うん、確認した。
–□ 30日の夕刊に載っている
記事のタイトルは「道端に女の焼死体 玉川」というもの。本の記述にある、多摩川べりの草原、という表現からなんとなく河川敷を思い浮かべていたけども、報道写真は、古い、この時代に特有の開発が進み始めた住宅街の端っこ、という感じ。舗装されているのか、されていないのか、それもよく分からない道路の脇、草がごちゃごちゃと生えた空き地のような場所だった。体の前部、右半身が強く焼けていたことから、この時点ではまだ自殺の可能性という報道だった。
*注:実際には加害者によって殴打などされて気絶したところにガソリンをかけられ、意識を取り戻して起き上がろうとしたところ、加害者によって火をつけられ焼かれた。
∧∧
( ‥)7月3日の夕刊で、
–□ 被害者の身元が報道
所持品が無くなっていること
などから他殺の可能性が
指摘されていますね
(‥ )そして、明けて7月4日に
□– 容疑者が逮捕という
ニュースになるわけだ
加害者の顔写真は、少なくとも当初、新聞で使われていたものはやや若い頃のもののようにも見え、時代を思わせる頑丈なつくりだが、整ったハンサムな青年のものだった。当時、年齢は30であったという。
∧∧
( ‥)7月15日の報道では
–□ 自供をひるがえして
いることが伝えられて
いますね
(‥ )空腹の時、ごちそうを
並べられて取り調べを
受けたから自供した、
そう言っている、とね。
でも供述通り、被害者の
ハンドバックが小石と
小銭入れを入れた状態で
川から見つかって
いるのよな
しかも、この真珠のネックレスいくらになるか見てくれ、そう加害者に頼まれた友人の証言が当初から得られており、そのネックレスが発見、押収され、被害者のものだと確認がとれている。そんな状況である。
「殺人全書」における記述だと、この加害者、頭は回るし、周囲の人と調子を合わせるのがうまく、仕事もできて英語も堪能であった(これは新聞報道も同様だった)。しかし、その場限りの調子の良い嘘を言うことが昔からはなはだしく、子供の頃から盗んだものを売っては遊び、女の子をとっかえひっかえ。あろうことか、しばしば遊びにいっていたクラスメートの女の子の家に強盗で押し入り、服役したこともあったという。
∧∧
(‥ )本の記述によると
□– 無期懲役の判決だった
そうですが
(‥ )今、生きていれば75歳だ
どこで何をしていることか
人はもって生まれたものからは離脱できず、自由にもなれない。