2012年7月28日土曜日
楽のつけがふってくる
∧∧
( ‥)つまり?
( ‥)新聞も本も右も左も読んで
–□ 自分の頭で考える。
まともな意見っぽく
聞こえるけども、
まじめに考えると
これだけでは無力だよね
そもそも何をもって妥当と判断するのか? その基準がないとどうにもならない。
∧∧
( ‥)さらに、そもそもその基準の
妥当性がしっかりしていないと
どうにもならない
(‥ )物差しがないと意味がないし
物差しが妥当でないと
やっぱり意味はない
∧∧
( ‥)中には私の物差しは
\– 正確だから、私の物差しに
合わせました、という人も
いますよねえ
(‥ )我田引水、ご都合主義って
いうの? 楽なんだよね
だがしかし、正確=妥当、ではない。
でも楽なのだ。自分の価値観に合わせて事実を集めれば、個々の正しい事柄から、現実と乖離したオレ様空間(嘘)を構築することが可能。
∧∧
( ‥)いっぱいいます?
( ‥)うん、楽だからねえ
–□
楽に仕事できる。この誘惑は極めて大きい。
学生時代に成績が良くなく、エリートコースに入る事が出来ぬまま、さりとてあきらめることも、あるいは最初から興味なしと達観することもできず、悔し涙を流して失望と怒りと恨みとねたみに身をこがし、ペンの力でエリート共に筆誅を下してやるのだと・・・
∧∧
( ‥)でも、実は手抜きではないかと
( ‥)だって、最初から結論
–□ 出ていて、そこに
合わせているからな
そんなことを続ければどうなるか? 自らの足で調べ、取材し、検証し、そもそも検証そのものの検証をどう行うべきか考える、だがしかし、40歳すぎたら、そんな体力は残っていない。
∧∧
(‥ )老人が若い時のルーチンワーク
\– のまま動作するのなら、
若い時から習慣化するほどに
そうするべきであったでしょう
(‥ )やったことないかもしれんけど
1から足でかせごうぜ、って
言うは簡単なんだけどね
だが実際には不可能。
かくてメディアは単なる残骸に成り果てた。