2012年4月25日水曜日
意外と普通にしているのか?
*の続き
∧∧
( ‥)何かを知っているとは
知らないことは知らない。
そうである以上は、
知っている範囲でしか
間違いに気がつけない。
( ‥)知っているは壁に囲まれた
庭のようなものかもな。
庭は拡大させることができるが、壁の向こうは見えない。
∧∧
( ‥)単純に考えた場合、
自分の間違いは
理解の範囲内でのみ
発見できる。
(‥ )だが、間違いは自分の理解の
範囲外でこそ、起こるのだ。
つまり必要なのは、自分で分かる間違いを見つけろ、ではまったく不十分で、自分の理解の範囲外で起きている誤謬を自分の理解の範囲内で、今ここで発見しろ、それこそが求められる。
∧∧
( ‥)文面通り考えれば無茶ぶり。
しかしあなたはそれが可能だと
( ‥)旦那が浮気した。それだけ
を知っている場合、
説明はほぼ1通りしかない
「旦那が浮気した」
∧∧
(‥ )だが、奥さんは相手によっては
\– 次のように説明できる
かもしれない
(‥ )私はこれこれのように家庭に
貢献し、私が出来る義務を
以下のように果たしました
しかし、夫は得意先のOLと
肉体関係に及んだのです
∧∧
( ‥)同じ事実を子供に説明する場合
もっと別の言い方がありえます
( ‥)お父さんとお母さんは
もう一緒には暮らせないの
そういう言い方かもな。
ここには重大な事柄が
幾つか含まれているよね
:現実、あるいは現実を記述できる仮説は複雑である
:現実、あるいは仮説の説明はそれらよりも単純である
:単純化するさいに、相手や状況によって、省略すべきポイントや、逆に強調するべきポイントが異なっている
∧∧
( ‥)言い換えると
(‥ )仮説と現実をなるべく
正確に把握していないと
以上のような、臨機応変な
単純化はできない
把握が単純である場合、説明はどんな場合でも、必然的に同じ形に収束するだろう。
*例:旦那が浮気したという把握では、旦那が浮気したのですって、としか説明できない。
∧∧
( ‥)説明する時に、どこを省略、
強調しようか? と頭を
悩ませないとしたら
(‥ )仮説や状況の何かを欠落
した状態で”理解”して
いるのだ。おそらく、それは
分かったが分かっていない
そういう致命的な状況を
暗示している。
情報の欠落=致命的な間違い、では必ずしも無いが、欠落させてはいけないものがある以上、欠落が誤謬の存在をほのめかしていることはありうる。説明が1形式しかないとなると、理解そのものに問題があると考えるべきではないのか?
∧∧
( ‥)つまり、自分の理解の範囲外で
起きている誤謬、あるいは情報の
欠落を自分の理解の範囲内で
発見することは可能
( ‥)..というか、普通にしている
-□ のかも?