2015年2月19日木曜日
宗教を信じることはホモ・サピエンスの種族的な特徴
有神論者と無神論者は等価である。そういうことを言うと、何を馬鹿な、双方怒りにかられて反論するであろうか?
∧∧
( ‥)あなたとしては?
(‥ )人類の歴史440万年
幾つもの種族が現れ
そして消えたが
たった一種類だけ
宗教的な遺物を豊富に
残してきた種族がいる
それが僕ら
ホモ・サピエンスだ
宗教を信じるのはホモ・サピエンスの種族的な特徴と言って良いのだろう。
∧∧
(‥ )あなたたちには
\− そういう遺伝子が
組み込まれているのだね
(‥ )たぶんなあ
根拠も無く
何かに固執する性質だと
思うのだけどね
なんでそんなことを思うのかというと、宗教を信じる人間は当然として、宗教を信じないでそれを頭から否定する人間もまた、ものすごく固執しているのである。しかも自分では根拠を説明できないまま信じているのだ。
∧∧
( ‥)不在証明は不可能である
つまり
神の不在証明も不可能
そうであるのに
神は論理的に否定された
あるいは
神は科学的に否定された
そう信じ込んでいる
(‥ )宗教は非科学である
これを呪文のように
繰り返す訳だ
これって宗教と
根っこは変わらないよね
∧∧
( ‥)というよりも
( ‥)人間の本質がここにある
−□ そう考えるべきだろうな
根拠もないのに何かに固執する種族。それが440万年の進化の過程でたった一回だけ生まれてきて、そしてそれだけが残った。
ここでは、時々、宗教者が言う、無神論は無神論教である、という皮肉は放っておこう。
無神論教であると揶揄しても、宗教者は所詮のところ宗教者でしかない。宗教者は無神論も異教のひとつとして敬意をもって扱おう、なんて言ったりはしない。そう言う人がいるにしても見たことはない。つまり、いても観測にかからないくらい数が少ないということだ。
宗教者の言う、無神論教、などという言いようは、所詮は揶揄だ。
彼らは他人の脳の中をのぞきこんで、それを無神、冒涜、野蛮と罵るが、同じものが自分の脳内にあることには目を向けぬ。自分の脳を鏡で見たくないのだ。
当然、無神論者も同様である。
なればいずれにせよ、そのような言葉、論ずるに値せず。
無神論者も有神論者も、相手の心をゆがんでいると否定するが、同じ特性が自分たちの脳にあることには目を向けぬ。
∧∧
( ‥)あなたがたは全員
ホモ・サピエンスだ
(‥ )ホモ・サピエンスは
生物だ
一律な機械ではない
だがそれでも
この根拠無き一律な固執は
強烈なメッセージだよな
すなわち、我ら神を信じる猿。
∧∧
(‥ )進化的に言うと
\− 少なくとも有利だった
そういうことなんでしょうね
(‥ )確かになあ
人間が初期に作った道具に
投槍器というのがあるけど
これ、原理はものすごく単純で、作るのも簡単だ。少なくとも形だけならそうである。ちょうど良い枝を折ればすぐにできる。
∧∧
( ‥)だけどこれが難しい
(‥ )熟練すれば強烈な武器に
なるんだけどね
これが難しいのだわ
思うに、あんなものを作り出してそれを効果的に使うには、理屈では正当化できない、無意味で強烈な執着がないと不可能だろう。
しかしその効果は絶大であった。飛び道具を手にした人類に対応できる動物などアフリカ以外におらず、1万年前までには、ほぼすべての大陸から大型動物が抹殺されてしまうのである。