2014年6月17日火曜日
人間の分散は努力という成功体験を生み出して人生を狂わすだろう
ちょっと気を抜くと何もかもつまらなく感じてしまう
∧∧
(‥ )自分一人で面白いことを
\‐ 作成するのは難しい
(‥ )今日、興味をひかれたこと
というと
タンパク質が持つ構造の
一様式
ジンクフィンガーかな
日付は変ってしまったが、本日はあまり仕事にならなかった。また起きたら調べ直そう。そもそも学生時代の知識に穴があるか、時代遅れになっているか、どれかなのだ。それでもなにも無い一日よりはましである。
さて
仮に人間の能力が平均から均等に分布していたとする
例えばこんな風に
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∧∧
(‥ )この場合、努力すると
\‐ 努力の分だけ
人より抜きん出ることに
なるよね
(‥ )10の努力で10人を抜き
20の努力でさらに
10人を抜き、だな
だが、実際のところ人間の能力は平均値に集中した分布を示す。
例えばこんな風に
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∧∧
( ‥)この分布の場合
当初、努力はめざましい
効果をもたらすことになる
(‥ )例えばの話
10の努力で
1000人抜きだ
だが、さらに10を上乗せして努力を行った時、抜ける人間は途端に10に減る、さらに10を上乗せしても、今度は1人抜くのが精一杯
∧∧
( ‥)多分そんなだろうと
(‥ )さーて問題だ
どっちの方がおかしな
勘違いをすると思う?
おそらく、後者の場合、つまり人間が平均値に非常に偏った分布をするという現実的なモデルの時にこそ、人はおかしな勘違いをして人生を詰むのではないだろうか?
∧∧
( ‥)努力したら1000人抜き
投資に対して大きすぎる
この成果に眼がくらむと?
(‥ )というか、
おかしな全能観を
持つようになるのでは
ないかね?
もちろん、結果は見えているのだ、この全能観は偏りが生み出した結果でしかないし、それを延長した未来予測は確実に外れる。その先にあるのは挫折だけだ。
∧∧
(‥ )努力によって大きな成果が
\‐ 得られるはずである
そういう初期の成功で
刷り込まれた思い込みを
抱いたまま人生が
閉じていくと
(‥ )おれの高校の先生はよ
努力を熱心に
言い立てていたけども
おれがさ、いるような
学校で教鞭取るような
先生ではねえ
駄目だよねえ
努力すれば成果が得られるのだ、そう言い立てる先生が自分の目の前にいることの矛盾。あの時の何とも言えない気持ちは今でも時々思い出す。
人間が平均値に異様に集中する。このような分布なり分散なりをする世界では、努力という成功体験が容易に産まれやすいように思われる。そして必然、その成功体験で人生を狂わせる連中が数多く出現することとなる。
努力というのは、愚かで無様なことなのだ。必要ではあるが、あまり真面目な顔をして言う事ではないのだろう。