2013年9月4日水曜日
同心円状の的に開けられた穴が同心円状分布を....
∧∧
(‥ )台風の接近で雨ですね
そうかと思うと晴れたり
雲が出てきたり不安定
(‥ )月は見れないな。
まあ、出てても糸みたいに
細くて高度も低いだろうから
スケッチは無理だと思うけど
天文学や地質学の本はまだともかく、火山や、ましてや月の地質の本となると日本語では参考書籍がほとんどない。
∧∧
(‥ )というか事実上、皆無ですよね
\‐ 英語でもあまり見当たらない
という。
(‥ )アポロのせいかな、昔は
□‐ 日本語でも月の本は
そこそこあったらしいのよ
今、手持ちであるこの本も
1971年に出版された
月の本なんだけども
前も話題にしたこの本(書名は現状、差し控える)、月のクレーターは火山の噴火口、あるいはカルデラである、という説をとっている。
∧∧
( ‥)すごく乱暴に要約してしまうと
‐□ この本は結果的に、
全部間違いだって
ことになります
(‥ )もちろん、全部が間違い
ということはあり得ないが
結果的にはほとんどすべて
間違ってるということに
なるよね。
日本の地質学は一時、マルクス主義者の力が強かったので、例えばプレートテクトニクス説、大陸移動説は西側世界のアイデア、ひいては資本主義的な思想であるとして排除されたような過去もある。
*これは別に地学に限ったことではなく、例えば生物学でもルイセンコ主義のように、獲得形質による農業生産の無限増大を旗印に、マルクス主義者の活動が猛威をふるった過去がある。これはWW2以後の歴史では世界のあちこちに大きな爪痕を残した。日本ではまっとうな研究者が排除された、攻撃された、という”程度”ですんだが、東側諸国では妄言のような農業指導で壊滅的な打撃をうけた場所や時代があった。
∧∧
( ‥)この本の著者も、ソ連の
‐□ 研究者による
クレーター火山説を
積極的に押していますよね
(‥ )もちろん、だから著者が
マルクス主義者だ、とか
そういうことには
ならないんだけどもさ。
ただ、先に上げたような人々、一世代前に猛威をふるって、今は過去の行状を忘れたかのように素知らぬ顔をしている連中と、似たところはあるかなあ。
∧∧
( ‥)例えば?
( ‥)月にも生成と発展の歴史が
‐□ 発展史的な見かたを...
偶然の産物ばかりではない
偶然クレーターができる、
こういう見解が広がって
クレーター成因論は
観念的な色彩が強くなった
などなど
歴史は発展する
発展という見方から歴史は理解されるべきである
偶然に対して否定的
偶然は観念論
悪い仮説は観念論
この本に出てくるこの論法。これはルイセンコ主義者にも見られたものだよな。
54ページ、56ページにおける記述は言わずもがなだろう。
*端的に言ってしまうとマルクス主義というのは物事がある必然の状態へ発展し、移行する、という考え。言い換えると偶然とか確率とか統計という考えを排除する傾向があるし、反対意見に観念論というレッテルを張りたがる。マルクス主義者の語るダーウィニズムがてんでトンチンカンなのはこのせいだし、ルイセンコ主義者やマルクス主義者はメンデル遺伝を観念論と罵倒した。こうした傾向がこの本でも見られる、ということ。
∧∧
(‥ )この著者さんは、
\‐ 雨の海やその周辺にある
光条を持つクレーターは
火山起源を支持する、と
考えているのですね
(‥ )光条。つまり新しい
クレーターから伸びる
放出物の輝く筋だね
著者はこれを火口と
火口から放出された火山灰
だと考えている。そして
雨の海には多重の
リング状構造がある
そこに光条を持つ
クレーターを当てはめると
リング状に分布して見える
そういう論点だな。
つまり、雨の海をひとつの火山、あるいは巨大なカルデラ火口、あるいはそれに近似の構造とみなした時、光条を持つクレーターはこの多重リング構造に沿って並んでいるように見える、だから光条を持つクレーターは二次的に出来た新しい火口である、という考え。
∧∧
( ‥)...そう見えます?
(‥ )いや、個人的には
そうは見えないけどね
まあ、確かに、雨の海(月の海をうさぎに見立てた時、お腹など下腹部にあたる部分)には多重のリング構造がある。巨大クレーターはこういう二重、三重になったリング状構造を持つようになるのだ。
そして例えばアリスタルコスはそうしたリングの部分に落下して出来たものらしい。コペルニクスもリングの近くにはある。あるけども
∧∧
( ‥)...あのさ、
多重リングクレーターって
射撃練習に使う
円を幾つも入れ子に
重ねて描いた的と形は
同じものだよね?
(‥ )そこにさ、適当に
何発か当てたら
穴がリング状に
分布しているように
見えるよなあ?
同心円状の的に適当に開けられた穴は、同心円に沿って分布しているように見えるのではないか?
∧∧
(‥ )これは、自分の仮説を
\‐ 通して観察するあまり
恣意的に物事を解釈して
しまった例でしょうか
(‥ )僕らは結論を知っている
だから色々と言える。
それは確かだ。
だけどもさ、
それだけで
この著者のこの推論を
”結果的に間違っていた
だけなのです”
そう擁護できるか?
そこが問われるよね。
たぶん、擁護できないと思う。