2013年4月2日火曜日
誤差の扉を開く時、夢や幸せはいらない
評価されなくても、才能がなくてもいい、もう、幸せになりたい
∧∧
( ‥)そう言われたら、あなたなら
なんて答えます?
(‥ )そこで膝をかかえて
座ってろ能無し野郎。
おまえは死体と同じだ。
∧∧
(‥ )あなたも未来が無いのは
\– 同じなんですけどね
(‥ )だから見ていればいいさ
∧∧
( ‥)何も出来ずに無様に死んでいく
あなた自身のあがく姿を
見るがいい
そういうことですか
(‥ )まあ、見なくてもいいけど
そういうことだな。
未来は誤差の範囲でしか
変えられん。ならば
いかなる努力も試みも
前もってほぼ確定的なのだ
才能が無ければ未来は切り開けん。才能のない人間がどれだけ努力してもどうにもならん。才能がないなら夢を見ても意味はない。
確かに確かに、それは認めようじゃないか。確かに才能がないならあきらめて膝を抱えて幸せになるしかないではないか。
∧∧
(‥ )それを考えると、
\– もう座りたい...
とあきらめる
人たちの気持ちも
分かりますね
(‥ )それに、そういう連中は
まだしも無害だからな。
世の中にはよせばいいのに、へたっくそな絵しか描けないのに、どうしようもない文章しか書けないのに、自分は才能があると思い込んで、出版社に無駄な持ち込みをしたり、えらそうにアニメや漫画や小説や政治の批評をして、しかも無駄に上から目線で、せっせとHPやblogに書き込むおっさんたちが大勢いる。
∧∧
( ‥)おっさんね
( ‥)企業人でもフリーでも
–□ ぷーたろーでも、
おっさんになると
なぜか同じように
無様な有様になるよな。
あれは謎だよね
∧∧
( ‥)ホルモンかなんかが
原因ですかね?
(‥ )意外とそういう簡単な
要員だったら楽しいね。
いずれにせよ、そんな勘違い野郎よりは、あきらめて座り込んでいる人間の方がまだしも無害だ。
喜びなさい、幸せを選んだら人知無害になれる。
∧∧
(‥ )でも、幸せを望んでも、
\– 夢を望んでも、
なんか不幸ですね
(‥ )だが走り続けるのは
もっと不幸だなあ
だから当然なんである。そうまでしないといけないの? もう、幸せになりたい。そう言い出す人が出るのは当然なのだ。
∧∧
( ‥)あなたはどう死んでいくの
でしょうねえ?
(‥ )もう疲れた、駄目だ
そう座り込むのか
駄目だ、体力が...
そう、泥沼に沈んでいくのか
どう死ぬのかねえ
∧∧
(‥ )こうなることは、子供の頃から
\– ほぼ確定的でしたしね
(‥ )打開するには誤差が必要で
誤差の扉を開けるには
大量の投資が必要だ
∧∧
( ‥)もし、幸せを選ぶなら
(‥ )誤差の扉が開けん。
当たり前だよね、
座り込んでいるの
だからな
∧∧
( ‥)夢を選べば
(‥ )やはり開けん。
当たり前だよね、
前ではなく上ばかり
見ているのだからな
考えてみれば当たり前なのだ。例えばの話、将棋をする時、幸せや夢は必要ないだろう。必要なのは「手」なのだ。実際、そうであるからこそ、機械が人間を打ち負かすことが出来る。コンピューターに幸せや夢なんて回路やプログラムや動作はないだろう。
動物の中でも、人間だけが間抜けにも幸せだの夢だの無駄なことを言い出すのだ。つまり、それは本来、生存には関係ない要素じゃないか。事実ほら、幸せとか夢とか言い出す奴は現実を平気で切り捨てようとする。連中はまるで死の塊だ。
夢や幸せは突破において必要ない。無駄なだけである。むしろ有害。それは死にまみれたおぞましい代物だ。あるいはだからこそ、安定的な夢と言うべきか。この宇宙では死こそが本来の姿で、生物も命も不自然なものでしかない。幸せという安定を求めれば、死に接近するは当然。
∧∧
(‥ )じゃあ、とるべき道は
\– ひとつしかないですね
(‥ )検索、実行、検証、
それもなるべく
速く多くだ
∧∧
( ‥)しかし時間は容赦なく
進行する
(‥ )チクタクチクタク、
さて、何手打てるかな?