2013年3月29日金曜日
面倒くさいは体力がないの言語的翻訳
( ‥)先日、帰郷した先で
走ってみたんだがね。
∧∧
( ‥)ああ、中学時代に走って
いたコースね
走れることは走れるが、
∧∧
( ‥)ひどく疲れました、と
(‥ )あんなに疲れるとは
思わなかったよ。
故郷は扇状地でな
わずかだが坂になって
いるのだが
コースは大雑把にいって長方形なんだけども、斜面方向に駆け上がる過程でかなり体力を奪われるらしい。続く、斜面と直角とでもいうか、同じ等高線を走っている過程でその疲労が回復しない。以前は10分以下、ノンストップで走り抜けた道のりだが、今はこんな短距離でも、ぜーはーぜーはー、という有様。
∧∧
(‥ )なんでもお知り合いの方は
□‐ 子供の運動会で転んで
肋骨にひびが入ったとか
(‥ )おいちゃんと年齢はほぼ
同じ、40代前半
なんだけどね。
これは深刻だよねえ。
時々、街で見かける光景。道をよろよろと、しかしのろのろ横切る老人を前に、困惑して立ち止っている自動車。
∧∧
( ‥)あれは昔だったら
向こうに見える自動車が
あの距離あの速度なら
自動車がここにやってくる
前に道を横断しきれる、
という過去の経験のまま
行動している老人なのだと
言われますが
(‥ )以前はできた、だから今も
できるはずだ。
そう思い込んだままだ、
そういう説明だね。
以前はできた。だから今もできる。ああ、しかし、
∧∧
( ‥)だが残念、過去は未来でもなく
現在でもない。過去は無条件に
現在と未来を意味しない。
(‥ )経験にとらわれているとも
言えるし、
経験を前提にした
論理にとらわれているとも
言えるかな。
∧∧
(‥ )私はできる。ゆえにできるはず。
□‐
(‥ )こういう言い方すると、
より、論理的に聞こえるね
間違っているけどね。
∧∧
( ‥)大真面目に言うと過去は未来を
包含しないから、以上は
破たんした論理のはず。
(‥ )破たんした論理だね。
単純に言えば体力は衰える
かつてできたことが
いまやできない、
ただそれだけの話なんだが
一方、さらに大真面目にいえば、私はできる、という言い方が問題なんだとも言える。
∧∧
(‥ )過去の私と今の私を
□‐ ”私”という大雑把な主語や名詞で
ひとくくりにした詭弁だとも
言えますか
(‥ )まあ、そうだろうね。
もちろん、こんな大真面目な
言い方をする必要も
また、ないんだけどな。
単に、昔できたことが今もできると思うな、それが老いというものだ。それだけの話。
∧∧
( ‥)でもさ、この話って、
できるはずもない素早い横断を
できると思って歩く老人と
できると思って走ったら
できない40代が連続している
そういうことでも
あるのですよね
( ‥)当然の話なんだがな
‐□ なかなか気がつかない
ものだね
∧∧
( ‥)気付く局面がない、そういう
ことですかね。
(‥ )たぶんなあ、無意識のうちに
気付く局面を避けて
いるのだと思う。
そして、そのキーワードはたぶん”面倒くさい”
∧∧
( ‥)たとえば?
(‥ )青信号が点灯してる。
以前なら走った、だけども
なんか面倒くさいなあ
だるいなあ、信号待てば
いいんだよねー、
そういう感じ
∧∧
( ‥)自分に言い訳してる?
(‥ )体は、もう体力がないから
そういう行動はやめてくれ
そう言っているんだけどね
それを言語的に翻訳すると
めんどくさいになる。
そういうことじゃないかと
思う。
∧∧
(‥ )まあ、青信号自体は
□‐ 待てばいいだけの話
ですけども。
(‥ )青信号自体はそうだね
だけどもね、思い出せば
30代後半から、
この”面倒くさい”が
いつの間にか、
日常のあらゆる局面に
入り込んでくるんだ。
∧∧
( ‥)面倒くさいは体力がもう
ありません。そういう
表示と思えと。
(‥ )日常の動作は毎日行う。
つまり日常自体は
トレーニングしている状態
だから、それを行う体力は
維持されている。
だが、それが曲者だとも
言えるよね。
日常の動作は日常的な反復でトレーニングし続けている状態。
これは言い換えると、頻度の少ない動作に必要な体力は落ちる一方だ、ということでもある。
∧∧
( ‥)つまりいつの間にか
日常以上のことが
できなくなっている
(‥ )しかも無意識のうちに
面倒くさいと体力の壁を
回避してるわけだろ?
体力の低下が
日常を浸食する
その時まで、気付かない。
そういうことだよな。